「秩父夜祭」(ちちぶよまつり)として知られる秩父神社の例大祭は豪華絢爛な笠鉾・屋台の曳き廻しや、豪壮な屋台ばやし、夜空を彩る花火、屋台芝居に曳き踊りなどが加わり、今も昔も、多くの人々を魅了し続けています。この祭りは江戸中期、秩父神社に立った絹織物の市、「絹大市」(きぬのたかまち)の経済的な発展と共に、盛大に行われるようになり、その後日本を代表する祭りとして知られるようになりました。冬の夜空を染める花火と、ぼんぼりの灯りが揺れる笠鉾・屋台の極彩色の共演こそが秩父夜祭の醍醐味と言えるでしょう。「秩父祭の屋台行事と神楽」は国重要無形民俗文化財に指定されています。
勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、初冬の街中を曳き回されるのが屋台4基と笠鉾2基の山車。別名『動く陽明門』と言われるほど豪華絢爛で、昭和37年には国の重要有形民俗文化財に指定されました。「屋台」は宮地(みやぢ)・上町(かみまち)・中町(なかまち)・本町(もとまち)の4基で、当番形式で屋台歌舞伎を上演します。その際に屋台本体の左右に張出舞台という付け舞台を加え、間口を広げ、芸座・仮芸座や花道などが設けられます。
「笠鉾」は中近(なかちか)と下郷(したごう)の2基で、神霊のより依代としての要素を供えており、その構造は土台の中央から長い真柱を立て、3層の笠を立てます。緋羅紗の水引幕を吊り、造り花を放射状に垂らしています。しかし大正3年に笠鉾の順路に電線が架設されたため、笠鉾本来の姿での曳行はできなくなり、屋形姿で曳いています。
秩父神社のご祭神である妙見様(女神)と武甲山に鎮まる龍神様(男神様)との年に一度の逢瀬の祭りとして語られる秩父夜祭は、さながら“冬版七夕伝説”とも呼べるものです。6基の笠鉾・屋台に先立って神幸行列がお旅所に到着すると、鎮座する「亀の子石」の背中に大幣束が立てられ、神輿が安置されます。不思議なことに、秩父神社・亀の子石・武甲山は地図上では一直線上に並んでおり、その北の延長線上に北極星が位置する特殊な配置になっています。現在、祭りの行列は本町通りを通ってお旅所へ向かいますが、かつては秩父神社の表参道にあたる番場通りを渡御していました。ここに鎮座するお諏訪様近くを通る際には、そのご祭神に敬意を表し、お囃子を止めて静かに進む「お諏訪渡り」と呼ばれる神事が今でも行われています。これは秩父神社に妙見様がお祀りされる以前から、秩父地方に根づく諏訪信仰に由来するもので、この地方の地主神と考えられるお諏訪様にちなんだ行事であると思われます。
諏訪神社のご本社である諏訪大社は、信濃の国の一宮であり御柱祭りを行うことで、有名な神社です 。 秩父地方では、水神様の信仰と結びついて秩父盆地の各所にお祀りされ、村の鎮守とされているものが少なくありません。毎年、夜祭りの前夜にあたる、12月2日の晩、番場通りの諏訪神社でお祭りを行うことが慣例とされているのも、最初に土地の神様の祭礼を行ってからご本社のお祭りが始まるという最も伝統的な祭りの形であり、秩父地方ではこれを男女の関係にたとえて、諏訪信仰の伝統を今に伝えているのです。秩父夜祭全体の観光ガイドとしてご利用下さい。ご自由にダウンロードしてプリントアウトできます。